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津地方裁判所 昭和49年(わ)244号 判決

主文

被告人須ケ間宣雄、同船坂光雄、同田中廣之、同近藤正喜を各禁錮四月に処する。

被告日本アエロジル株式会社を罰金二〇〇万円に処する。

被告人須ケ間宣雄、同船坂光雄、同田中廣之、同近藤正喜に対しこの裁判確定の日からいずれも二年間その刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人ら四名及び被告日本アエロジル株式会社の連帯負担とする。

理由

(認定した事実)

第一日本アエロジル株式会社、同四日市工場の各概況、被告人らの経歴、職務とアエロジル製造工程及びその関連設備、安全教育等

一日本アエロジル株式会社、同四日市工場及び同工場製造課の各概況

被告日本アエロジル株式会社は、昭和四一年一一月一日、三菱金属株式会社と西ドイツのデグサ社が共同出資して設立された分散性顔料等化学製品の製造販売を事業目的とする合弁会社で、肩書所在地に本店を有するほか大阪営業所と四日市工場(以下本件工場という)とを有し、本件工場は同会社の製造部門を受持つ設備として四日市市三田町三番地に所在し、同四三年一一月操業を開始し、主にアエロジルを、副生産として次亜塩素酸ソーダを製造しており、本件事故のあつた昭和四九年四月三〇日当時の従業員は七四名、事務課、製造課、工務課、安全環境課、建設室の四課一室を有し、前記二製品の製造及びこれに関連する事項は、工場長、技術次長の下に製造課員四〇名が担当していたもので、右製造課は課長である被告人須ケ間宣雄以下被告人船坂光雄外五名の係員、四名の交替班々長(但し内二名は係員が兼任)、被告人田中廣之及び同近藤正喜外二九名の一般技術員が所属し、班長一名と技術員六名とで構成される交替(作業)班四班が組織されていて、右四班は一勤が午前八時から午後三時まで、二勤が午後三時から午後一〇時まで、三勤が午後一〇時から翌日午前八時までの一日三交替勤務になつていて、他に昼間(午前八時から午後四時まで)勤務の技術班と分析係があり、右三交替制四班は、本件工場A棟、B棟、C棟共通、中和の各プラント運転作業及びその関連作業を担当し、技術班は液体塩素(以下液塩という)の受入れ、次亜塩素酸ソーダの出荷、塩素室の点検、ホークリフトの点検等を担当し、分析係は製品等の分析を担当しており、製造課長は係員以下の同課所属従業員を、係員は主として設備毎に担当職務が定められて、その範囲で班長以下の従業員を、班長は人的構成単位としての各班の長として、その班所属の一般技術員をそれぞれ指揮監督して前記製造課担当職務の遂行に当つていた。

なお、本件工場は液塩を貯蔵し、高圧の塩素ガスを製造する設備を有することから高圧ガス取締法の適用を受け、同法による第一種製造業者に指定されており、同工場としては同法に基いて高圧ガス危害発生予防規定を定めて工場保安管理組織を設けており、同法に基く作業主任者及び同規定(液塩関係)による保安管理班長には技術次長が当り、製造課長はこれを補佐し、且つ事業上代行して同規定上の保安管理員を指揮し、前記技術班を担当し、同班所属の技術員を直接指揮する立場にある係員(後記)は右規定上の保安管理員として、それぞれ液塩の受入れ、管理に関する保安業務を担当していた。

二被告人らの経歴と職務

(一) 被告人須ケ間宣雄(以下被告人須ケ間という)は、昭和三八年三月秋田大学鉱山学部治金学科を卒業後、同年三月三菱金属株式会社に入社、同社細倉鉱業所を経て同四四年九月以降本件工場に勤務し、同四五年一〇月製造課課長代理、同四八年一二月製造課長となつたもので、同工場工場長、技術次長の指揮のもとに製造課の業務を掌理し、部下を指揮、監督するとともに前記高圧ガス取締法及び高圧ガス危害発生予防規定に基く作業主任者及び保安管理班長の事業上の代行者として保安管理員を指揮し、液塩の受入れ取扱いに関する保安管理、保安安全教育の実施業務を遂行する職責を有していた。

(二) 被告人船坂光雄(以下被告人船坂という)は、秋田県内私立鹿角工業高校を中退後、昭和二八年三月三菱金属株式会社尾去沢鉱業所に入社、同四三年二月以降本件工場に勤務し、以後製造課に所属し、班長を経て同四九年四月一日係員となり、A、B棟、共通の各プラントを担当して班長以下の従業員を指揮監督するとともに技術班所属の技術員を直接指揮監督し、また前記高圧ガス危害発生予防規定上の保安管理員として液塩の受入れ、取扱いに関する保安管理、保安安全教育の実施業務を遂行する職責を有していた。

(三) 被告人田中廣之(以下被告人田中という)は、三重県立四日市高校を卒業後、本田技研に入社したが間もなく退職、昭和四五年四月以降本件工場に勤務、以来製造課技術員として同課賀川班に所属し、A、B棟係を担当していた。

(四) 被告人近藤正喜(以下被告人近藤という)は、三重県立菰野高校を卒業後、日本コンクリート鈴鹿工場に勤務したが間もなく退職し、昭和四九年一月一六日以降本件工場に勤務し、以来製造課技術員として、当初数日間の机上教育を経た後、同課内の各職場で(三交替班の船坂班で共通、中和、A、B棟の作業を約二〇日間、賀川班で排水処理作業を約五日間、分析係で製品、排水、四塩化硅素の分析作業を二ケ月余り)実習し、同年四月二六日以降は同課技術班に応援要員として配置され、同班担当業務に実習旁々従事していた。

三アエロジル製造工程の概要

アエロジルは四塩化硅素を水素、酸素に反応させて生ずる二酸化硅素の超微粒子でプラスチツク、シリコンゴム、塗料、印刷インク等の品質改良強化目的に利用される添加剤であつて、本件工場においては、液塩貯蔵タンク(以下塩素タンクもしくは単にタンクという)に受入れた液塩を気化器に導いて気化し、塩素ガスとしたものをレシーバータンクより塩酸合成設備に送つて水素と燃焼させ、これにより発生した塩化水素ガスを水に吸収させて塩酸を合成し(以上燃焼と合成がB棟で行われる)、更に塩酸ガス発生設備において塩酸ガスとしたものを塩化炉で硅素合金に作用させて四塩化硅素を製造し(以上の工程がC棟で行われる)、四塩化硅素と過剰の水素を燃焼炉で燃焼させてアエロジルが製造される(以上の工程がA棟で行われる)。

四製造工程関連設備及び除害過程

本件工場には、三〇トン容量の塩素タンク二基(一号、二号)、気化器一基、レシーバータンク一基の設置されている塩素室、高圧コンプレツサーの設置された機械室、塩酸合成設備、回収塔、中和塔及びこれの関連設備の設置されているB棟、四塩化硅素製造設備及びこれの関連設備の設置されているC棟、アエロジルの製造設備及びこれの関連設備の設置されているA棟があるところ

イ 液塩を受入れる塩素タンクは二基あるうち、昭和四九年四月当時は二号タンクのみが使用されていたが、右二号タンク上には、同タンク内の圧力を測定するための圧力計(プレツシヤーゲージ)を中心にして、その周辺に同型、同色の五ケのバルブ(弁)ハンドル(液塩受入れパイプに設置してあつて液塩受入れの際に受入れ口として開閉操作する受入れバルブ、液塩受入れの際などに同タンク内のガスを抜きタンク内圧力を下げるため開閉操作するガス抜きバルブ、同タンク内の液塩を気化器に送つて塩酸合成に使用するため開閉操作する液塩使用バルブ、同タンク内の残塩素ガスを抜いてパージ((放出))し、タンク内を掃気するために開閉するタンク内ガスパージバルブ、液塩受入れ終了時に受入れ用パイプ及びこれに接続する導管内を掃気するため開閉操作するパージバルブの各バルブハンドル)がひとかたまりに集中した状態で高さもほゞ等しく、互いに近接(ハンドルの直径約一五センチメートル、受入れバルブ、パージバルブの各ハンドルは圧力計西側にあつて、両者の間隔はハンドル外側で約八センチメートル、ガス抜きバルブのハンドルは圧力計南側にあつて受入れバルブのハンドルとの間隔は両軸間約二五センチメートル)して併置されており、各バルブ軸下方には一応名称札が取付けられていたものの、何れも小さく、汚れていて一見して見易いものではなかつた。

ロ タンクローリーより液塩を受入れるための配管である受入れパイプは、二号タンク上で同タンク内に入り、同タンク底近くに至つている一方、同タンク上でパージバルブの設置されているパージパイプ(前記の受入れパイプ及び接続導管内の残留液塩、塩素ガス等を回収塔方面に放出するための配管)にも連結され、右パージパイプはパージバルブを経て塩素室外南側で一、二号各タンク、気化器、レシーバータンクの各安全弁から導かれている安全弁パイプと共にB棟内回収塔、シールポツト(後記水封装置)に通じる太いパイプに連結、合流されており(=パージライン)、一、二号各タンク、気化器、レシーバータンクにはそれぞれ安全弁が一個ずつ設置されていて、その安全弁吹出圧力は本件事故当時、一平方センチメートル当り二号タンクの安全弁は18.7キログラム、他の二つの安全弁はともに15.6キログラムであつた。

ハ パージパイプ、安全弁パイプの合流した一本の太いパイプであるパージライン配管は、B棟に導かれ、前記シールポツト上部において回収塔に至るパイプ配管とシールポツトに直下するパイプ配管に丁字型に連結されており、B棟には塩酸合成塔等一連の塩酸合成工程関連設備が設置されているほか回収塔、ガス冷却機(ガスクーラー)、第一、第二各中和塔ダンパー、ブロワー二基、T・C・A(最終の中和設備)、T・C・A排突部、シールポツト等の一連の排ガス回収乃至排ガス、塩酸ガスの中和除去処理、排出設備、これの関連設備が設置されていた。

ニ 回収塔、ガスクーラーにおいて吸収されない排ガス、塩素ガスは第一中和塔、第二中和塔に順次導かれ、苛性ソーダにより塩素分が吸収、中和され、残ガスはダンパー(排ガス量調節設備)、ブロワー(排ガス等を中和塔へ吸引する設備)を通つてT・C・Aに導かれ、同設備で完全な中和処理がなされ、無害、無色となつた残ガスはT・C・A排突部の先端から大気中に排出される。

ホ シールポツト(水封装置)は硬質塩化ビニール製の円筒形容器(直径約五〇センチメートル、高さ約八〇センチメートル)で、高さ約六二センチメートルの側面にパイプの取付けられた排水口が開けられ、容器内に常に満たされている水は溢流して右排水口から取付パイプを通り排水溝に導かれている。

右装置は、一面においてプラント内の(負圧をゆるめる点で)圧力調整機能を有するが、主にはアエロジルの製造工程で副生する排ガス中の塩酸ガスが過剰の水素の燃焼によつて発生した水滴に一部溶け込み、塩酸液滴=ドレンとして排管内に付着し、配管、バルブ等を腐蝕するのを防止するため、前記パージライン配管に連結し、上部から下部へ直下してシールポツト内に至るパイプ配管を通じて右ドレンを流下させ、容器内の水に混合させ、この水の溢流により排水溝に排出させるための設備で、右ドレンを含んだ水は同排水溝より排水中和処理場に導かれて中和処理された後四日市港へ棄てられる。なお、後記液塩受入の際パージされた残留塩素ガスの一部はパージライン配管からシールポツトに至つて容器内の水に接触し極く微量ながらこれに溶解し、前記排水口から排水溝に棄てられる。

五液塩の受入れ

本件工場における液塩の受入れ方法は、液塩を運搬して来たタンクローリー又は液塩ボンベを積載した貨物自動車(両者を含めて以下はタンクローリーという)に高圧乾燥空気を送り込み、タンクローリー内の液塩を右空気圧によつて液塩受入れパイプを通して二号タンクに送り込むもので、右作業は前記技術班の担当するところであるが、右作業手順は、塩素室の高圧エアーパイプ、液塩受入れパイプの各取付口とタンクローリーとを二本の接続導管で連結し、機械室内のエアーコンプレツサーの運転を開始するとともに、高圧エアーパイプ上の三個のバルブ、タンクローリー側の二個のバルブ、導管接続部から二号タンクに至るまでの間の液塩受入れパイプ上の五個のバルブを順次開けて受入れを開始する。受入れ前及び受入れ中はタンク内圧力を随時確認し、タンク内圧力が高圧エアーの圧力(一平方センメートル当り一〇乃至一一キログラム)より低圧を保つようガス抜きバルブ(塩酸合成設備運転中の場合)或はタンク内ガスパージバルブ(塩酸合成設備運転停止中の場合)の開閉操作によりタンク内のガスを抜き取る。液塩受入れが終了するときは、接続導管側の二個のバルブを(タンクローリーの運転手)が閉めるとともに、受入れパイプ上の接続導管連結部側のバルブと二号タンク上の受入れバルブを閉め、更にその間にあるバルブをすべて閉め終つた後パージバルブを開け、続いて受入れバルブを除くその余の右各バルブを順次開けてパイプ内、接続導管内の残留液塩、塩素ガスを前記パージライン配管より回収塔方面へ放出し、その後右各バルブは順次閉じられて受入作業は終了する。

六新入技術員の教育及び一般技術員に対する安全教育

(一) 本件工場では、技術員として新に採用された者に対しては入社後数日間の机上教育が施され、安全環境課課長代理、製造課長及び係員から就業規則、アエロジル製造工程と作業標準、一般安全心得、安全規程、危険物とその取扱い、救急法などについて概括的な知識(塩素の取扱いに関しては、塩素の特性、これを吸つた場合の応急措置、ガスマスクの着装方法等の程度)を与えた後、現場見習として約三ケ月程、配属課毎に現場の班、係に順次配置し、各班、係毎に定められる指導担当技術員のマンツーマン方式による具体的指導の下に、自身で直接作業させることにより各種作業能力を習得させる養成方法がとられていたが、右実習指導に当つては、作業方法、手順を先ず身体でおぼえ込むことに重点が置かれていて、右作業を安全的確に遂行するために必要な技術知識(配管等の設備の状況、機能、作業方法を誤つた場合の危険性等)の習得には格別の配慮がなく、危険を伴う作業を実習する際の心得についても特段の教育はされていなかつた。

(二) 一般技術員に対する安全教育としては、毎月一回係員及び班長主催で開かれる安全懇談会のほか、安全環境課主催の総合安全懇談会、製造課長主催の災害事例研究会、半年毎に行われる製造課長の塩素の取扱いに関する講義等が催されて一般技術員がこれに参加し、受講していたが右各懇談会の内容は概ね技術員らから申立のあつた作業、設備に関する安全の面からの意見に対する工場側の検討といつたもので、安全な作業の遂行についての具体的指導が行われることはなく、災害事例研究会の内容も、他工場での災害事例について時折り製造課長が技術員を集めてこれを解説し、技術員らの注意を喚起するといつたもの、製造課長の講義の内容も塩素の危険性、取扱い等につきテキストを読ませ説明する程度で、何れも具体的な安全教育としては十分なものでなく、これらの外に特に課長、係員、班長らが部下技術員に対し安全的確な作業遂行についての具体的指導を行うようなことも殆んどなく、安全的確な作業遂行能力を十分そなえない未熟な技術員と共に危険性を伴う作業を行う場合の先輩技術員の心得(未熟練技術員に対する安全面からの指導、助言、監視等)に関する指導も特に行われてはいなかつた。

七塩素の特性

塩素は刺激性及び酸化力の強い黄緑色の気体で、液化し易く(常温の場合六気圧位で、常圧の場合マイナス四〇度C位で)、一容の液塩は気化して四六〇容の塩素ガスとなり、その対空気比重は2.447である。その毒作用の主要なものは酸腐蝕性で、塩素ガスは人間の皮膚、目及び口、鼻、咽喉から気管支にかけての上気道、肺などを刺激し、内膜、粘膜などに刺激症状を起こし、その中毒症状は、初期症状としては皮膚の炎症、流涙、結膜炎、口内粘膜の炎症、鼻炎、咽喉頭炎、気管支炎などが見られ、更に進むと呼吸困難となり、胸部疼痛(圧迫感)を自覚する。高濃度の塩素ガスの吸引により意識を失い、短時間で死亡する。我が国では労働衛生上の許容濃度として一P・P・Mの値がとられている(当時の根拠法令等は労働省令昭和四七年三九号、同省告示同年一二七号、日本産業衛生学会の許容濃度の勧告の数値)が同ガスの接触、吸引による反応症状の発生には個人差があり、敏感な者、抵抗力の弱い者は右許容濃度より低い濃度でも前記のような刺激症状を起こす。

第二本件事故発生までの経過

一被告人近藤の技術班への配置

技術班には班長が置かれてなく、A、B棟担当係員の被告人船坂が直接同班所属技術員を指揮監督する立場にあるが、昭和四九年四月一日以降人員が一名減つて三名となり、補充がなく、担当する職務の内容、作業量からして手薄なため、同被告人から製造課内の人員配置について実質的決定権をもつ被告人須ケ間に対し再三増員の要請がなされていたところ、同班員安田康平が同月二六日からしばらく新潟方面へ出張することになり、同じく班員山中正光からも農繁期の休暇申請があつたことなどから、同月二五日に至つて被告人須ケ間は、当時分析係で実習中でその課程も終了間近だつた被告人近藤を暫定的に実習を兼ねた応援要員として技術班へ配置しようと考え、その旨当日開かれた係員会議(被告人船坂は休暇をとつていて欠席)にはかつて決定し、被告人近藤は翌二六日から技術班員として勤務するようになつたものであるが、同被告人の技術班への配置に当つては、その配置の趣旨について同被告人及び他の三名の技術班員に対し何らの説明もなされず、同被告人に対する指導担当者が指定されることもなく同被告人に取扱わせるべき作業についての指示がなされることもなかつた。なお、同被告人は同月二七、二八、二九日は工場勤務がなく、同月三〇日が実質的に同班での二日目の勤務であつた。

二被告人近藤、同田中が液塩受入作業に従事し、その作業終了に至るまでの経過

本件事故に関わる同年同月三〇日の液塩受入れについては当日以前に被告人須ケ間から被告人船坂に指示されており、被告人船坂は当日朝技術班室へ行き、在室した班員羽多野正治と被告人近藤に当日午後一時からの液塩受入れを指示した(なお、当日技術班安田康平は出張中、同山中正光は田植えのため休暇をとつており、右羽多野正治も前日二勤の交替班の代行勤務をしたうえ、当日も二勤の賀川班の代行勤務が予定されていて、技術班員としての勤務は予定されていなかつたが、技術班員が新参の未熟者である被告人近藤一人となることを案じて自発的に朝から出勤していた)。その後、同工場労働組合の書記長である右羽多野正治は、当日午後三時から開かれる組合と工場側との団体交渉の予備接衝が同人と事務課職員山本登との間で午後一時からもたれることになつたため、その旨を被告人船坂に申出、同被告人から被告人須ケ間の了解が得られて液塩受入れ開始時刻が午後一時三〇分に変更され、同時刻から液塩受入れが開始されて技術班員羽多野正治が被告人近藤を伴つて右受入作業に従事した。右羽多野正治は、同月二六日に液塩受入れに従事した際にも被告人近藤を伴い、受入れ開始の際に開くバルブの一部の操作をさせたが、三〇日当日の受入れの際は、受入れ時のバルブ操作の手順に従つて順次受入れ関係バルブを開く操作を被告人近藤にさせた。被告人近藤はこれによつて、二号塩素タンク内の液塩の貯留、出入りが同タンク上或はこれに接続するパイプ上のバルブの閉、開の各状態においてなされることをほぼ認識したが、未だ各バルブの機能配管の状況についての知識経験は全くなかつた。午後三時ころ、二勤B棟担当の被告人田中は、団体交渉出席のため塩素室を離れる羽多野正治及び同人から交替の依頼を受けていた一勤A、B棟担当の中西昭治、館均らから液塩受入れ作業の代行方を依頼されてこれを承諾し、午後三時五分ころ塩素室へ赴いて被告人近藤と共に右受入れ作業に従事し、同三時二〇分ころ液塩受入れの終了を迎えたものであるが、右のような従業員同士の臨時且つ短時間の作業の交替による代行は、当時においていちいち上司の了解を得るということもなく、日常的に行われていた。

なお、右の間に被告人須ケ間は午後二時ころ、技術班室へ所用で立寄つた際、班員が不在であつたことから被告人近藤が羽多野正治と共に塩素室へ出ていることを察知していたものであり、また被告人船坂は同月二六、二七日の両日に引続き(二八、二九日は勤務なし)出張中の堀係員担当の職務及び負傷欠勤中の斉藤力雄班長(当日一勤)の職務をも代行していて甚だ多忙であつた。

第三罪となるべき事実

被告日本アエロジル株式会社(以下被告会社という)は肩書所在地に本店を、三重県四日市市の南東部にある同市三田町三番地に四日市工場(製造工場)をそれぞれ有し、アエロジルの製造販売を業とするもの、被告人須ケ間は同工場製造課長として右アエロジル製造業務を掌理し、同課所属従業員を指揮、監督して同製造業務及びこれに付随する業務を遂行するとともに、製造課内における作業主任者、保安管理班長の職務を代行して高圧ガスによる危害を予防すべく、アエロジルの製造原料である液塩の受入れ、取扱い等の保安に関する業務を統轄し、保安管理員等を指揮監督し、未熟練従業員に対する保安安全教育を実施する職責を有するもの、被告人船坂は同工場製造課係員として、製造課長の指揮監督のもとに班長以下の製造課従業員を指揮監督してアエロジル製造業務の一環である液塩の受入れ作業等を遂行する現場作業の監督責任者であるとともに、保安管理員として、前記作業主任者、保安管理班長の職務を代行する被告人須ケ間の指揮監督のもとに、同課内の高圧ガスによる危害を予防すべく前記液塩の受入れ、取扱い等の保安に関する業務を担当し、未熟練従業員に対する保安安全教育を行うべき職責を有するもの、被告人田中、同近藤は、同工場製造課技術員として、製造課長及び同課係員の指揮監督を受けてアエロジル製造業務及びこれに関連する業務に従事するものであるところ、昭和四九年四月三〇日午後一時三〇分ころより同日午後三時二〇分ころまでの間、同工場塩素室に設置してある二号塩素タンクにタンクローリーからアエロジルの製造原料である液塩を受入れる作業を行うに際し

一被告人須ケ間は、右被告会社の業務に関し、液塩受入れ作業を担当する製造課技術班は、当日三名の所属技術員(被告人近藤を除く)のうち羽多野正治を除く他の二名が出張あるいは欠勤し不在であるうえ、同班の人手不足を補うため、自己の命をもつて同月二六日より実習を兼ねて応援するべく同班に配置した被告人近藤は同受入れ作業に関するバルブの名称、機能、同配管の状況、バルブ操作を誤つた場合の具体的危険性等についての知識に乏しく、的確安全なバルブ操作をする作業能力を有しないうえ、右二号タンク上の液塩受入れ、同使用等に関する五個のバルブはそのハンドルの形が全く同形で同色であり、大きさも等しくほぼ同じ高さに近接して配置されていて、バルブ軸に取付けられたその名称札も小さく汚れていて一見して見易いものでなかつたから、経験未熟者が単独でバルブ操作を行えばその操作を誤るおそれがあり、誤操作の如何によつては、同タンク内の液塩乃至塩素ガスが同工場内に設置してあるシールポツト及び中和塔T・C・Aに至る配管に流出したうえ同設備から工場外へ排出され、工場周辺の住民等の生命、身体に危険を及ぼすおそれがあり、また液塩受入れには相当の時間を要するため、これに従事する従業員が作業の途中で他の従業員と交替勤務することも少なくなく、更に当日は、右技術班員を直接指揮監督する立場にある被告人船坂がその本来の担当職務のほかに他の係員の職務を代行し、且つ、午前八時から午後三時までは一勤の交替班々長の職務をも代行していて甚だ多忙の身で精力を多方面にそがれ、その本来の職務の遂行に万全を期し雑い状況にあつたのであるから、右近藤を技術班に配置して液塩受入れ作業に従事させるに当つては、特にバルブ操作を誤つて塩素ガス排出の危険を発生させることのないよう、同受入れ作業の担当監督係員である被告人船坂を指揮して同受入れ作業の経験者が常に右近藤の指導を行うこととするとともに、同被告人を通じあるいは自ら、右近藤と共に作業する経験者に対しては、右経験者の直接指揮、監督のもとにさせる以外には右近藤にバルブ操作をさせないこと及び作業中右作業経験者が他の作業経験者と交替勤務する場合には右交替者にも右の趣旨を了知させたうえ交替することを、右近藤に対しては、右経験者の直接指揮、監視のもとにする以外にはバルブ操作をしないようにすることをそれぞれ指示し、また、右指示通り安全に作業が行われているか否かを監督するため、適宜作業現場を巡回して作業状況を十分監視し、更に、作業終了後においても同作業中操作されたバルブの開閉状況を点検し、安全的確にその操作がなされていることを確認し、もし不完全な場合にはその補正の措置をとるなどし、もつてバルブの誤操作に起因する液塩の流出、塩素ガスの排出による危険の発生を防止すべき業務上の注意義務があるのに、これらを怠り、漫然右近藤を技術班に配置して前記液塩受入れ作業に従事させ、後記のとおり二号塩素タンク上のバルブを誤操作するに至らせ、且つ、右受入れ作業終了時において、被告人近藤の右バルブ誤操作によつて塩素ガスが継続して排出し、二号塩素タンク上のバルブを点検する必要が極めて大きかつたに拘らず、当初は右事故が液塩受入れ作業の終了時に起つたものであることを看過し、次いでは同タンク等の安全弁に連結する配管(安全弁ライン)に霜が付着する現象がみられたことから右事故の原因を同タンク等の安全弁の異常作動によるものと速断して、右タンク上の受入れバルブ及びパージバルブの点検をすることなく時間を経過した過失により

二被告人船坂は、被告会社の業務に関し、右一記載のとおりの状況のもとにおいて、液塩受入れ作業等についての知識に乏しく、同作業能力に欠ける未熟な被告人近藤を液塩受入れ作業に従事させるに当つては、特にバルブ操作を誤つて塩素ガス排出の危険を発生させることのないよう同作業の経験者が常に右近藤の指導を行うこととし、同人と共に作業する右経験者及び右近藤に対し、前記被告人須ケ間がなすべきと同趣旨の指示をし、更に同受入れ作業の作業中の監視及び作業終了時の点検等による監督について前記被告人須ケ間につき記載したと同様の措置をとり、もつてバルブ誤操作による液塩の流出、塩素ガスの排出による危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然右近藤を前記液塩受入れ作業に従事させて後記のとおり二号塩素タンク上のバルブを誤操作するに至らせ、且つ、右受入れ作業終了時に塩素ガスが排出して以後、前同様の状況下において、被告人須ケ間におけると同様の理由から受入れバルブ及びパージバルブの点検をすることなく時間を経過した過失により

三被告人田中は、右被告会社の業務に関し、技術班員羽多野正治と交替して、同日午後三時五分ころから前記液塩受入れ作業に被告人近藤と共に従事したものであるが、右近藤が経験未熟者であることを承知しており、右近藤に単独でバルブ操作をさせるときは前一記載のとおり、バルブ誤操作に起因する液塩流出、塩素ガスの排出により工場周辺の住民等の生命、身体に危険を及ぼすおそれがあつたから、バルブ操作はすべて自ら行うか、右近藤にこれをさせる場合には的確安全なバルブ操作を行うよう直接具体的に指導監視し、もつてバルブ誤操作による液塩の流出及び塩素ガスの排出による危険の発生を防止すべき業務上の注意義務があるのに、これらを怠り、右液塩受入れ作業終了時において、自己が高圧エアーパイプ接続管側のバルブ操作中、右近藤から「あつちのバルブ閉めようか」と二号塩素タンク上のバルブ操作の申出を受けるや、漫然これを承認して、そのバルブ操作につきこれを直接指導監視することなく、同人に単独でバルブ操作を行わせて後記のとおり同タンク上のバルブを誤操作するに至らせた過失により

四被告人近藤は、被告会社の業務に関し、実習を兼ねて技術班員羽多野正治及び同人と途中交替した被告人田中と共に前記液塩受入れ作業に従事したものであるが、前記の如く同作業中バイブ操作を誤るときは液塩の流出、塩素ガスの排出を招来して工場周辺の住民等の生命、身体等に危険を及ぼすおそれがあつたところ、同被告人は塩素ガスの人体に対する有害性を含む塩素の特性については知悉しており、且つ、二号塩素タンク内の液塩の貯留及び同タンクの液塩の出入りが同タンク上及びこれに接続するパイプ上のバルブの閉、開の各状態において行われることの認識を有していたものの、右の各バルブの機能及び配管の状況についての知識はなく、未だ的確安全なバルブ操作をする能力を有しなかつたから、右バルブの操作に当つては、作業経験者の直接の指導、監視のもとに的確にバルブを操作し、もつてバルブ誤操作による液塩の流出、塩素ガスの排出による危険の発生を防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前三記載のとおり同受入れ作業終了時において他のバルブを操作中の被告人田中に自己が二号塩素タンク上のバルブ操作をする旨申出てこれの承諾を得るや同人の指導監視を受けることなく、安易に同タンク上のバルブ操作を単独で行い、受入れバルブを閉塞すべきところ、誤つてこれに隣接するパージバルブを開放し、右両バルブを同時に開の状態においた過失により

前同日午後三時二〇分ころから同日午後六時二〇分ころまでの間、前記二号塩素タンク内の液塩を同タンクの受入れバルブ、パージバルブを経てパージライン配管に流出させたうえ、同工場のアエロジル製造工程中に生成される不用物であるドレンを排出するための設備であるシールポツトを経て約三七四キログラム、同製造工程中の廃ガス排出設備である中和塔T・C・A排出口を経て約八五キログラム、合計約四五九キログラムの塩素ガスを大気中に放出し、よつて同工場塩素室付近で作業をしていたタンクローリー運転手水上善勇(当時五八才)、同杉山幸雄(当時四二才)の両名に対し右塩素ガスの吸入により、それぞれ全治約五日間を要する急性上気道炎、急性気管支炎の各傷害を負わせ、且つ、被告会社の事業活動に伴つて人の健康を害する物質を本件工場外に排出し、同ガスが折りからの東南東乃至関東の風によつて四日市市内に流れて同市南西部一帯に拡散し、もつて同地域住民ら公衆の身体に危険を生じさせ、よつて別表記載のとおり、同市曙町において同町住民佐々木よね(当時五六才)に対し全治一二日間を要する急性咽頭炎の傷害を負わせたほか同市内において合計四四名に対し同表記載の各傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(訴因の一部を認めなかつた理由)

本件訴因においては、被告人らの判示所為によつて、判示水上善勇、同杉山幸雄に判示各傷害を与え、また四日市市日永(西一丁目)において若松元和(当時四才)に全治約一三日間を要する急性咽頭炎の、同市幸町において高木治子(当時六五才)に全治約一〇日間を要する気管支炎、咽頭炎の、同市ときわ(三丁目)において村上伸郎(当時三一才)に全治約七日間を要する急性顕粒性咽頭炎の、同市ときわ(四丁目)において川村開治(当時五七才)に全治約一〇日間を要する両眼濕疹性眼瞼結膜炎、川村つよ(当時五九才)に全治約七日間を要する急性結膜炎、川村寛(当時二六才)に全治約一〇日間を要する急性結膜炎の、同市大井手において上杉裕子(当時九才)に全治約三日間を要する咽頭炎の各傷害を与えた事実について、何れも人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律(以下公害犯罪法と略称する)三条二項に該当するものとされているところ、先ず、前記水上善勇、同杉山幸雄に関しては、前掲各証拠によれば同人らは判示事故当時本件工場へ液塩を搬入したタンクローリーの運転手で、判示液塩受入れ作業に際しこれに必要なタンクローリー側のバルブ操作等の作業を行つていたもので、その作業時に本件工場塩素室付近においてシールポツトから排出され、構内敷地上を漂よう塩素ガスを吸引して前記傷害を負つたものであることが認められるが、前記条項の適用があるためには、事業場等からの排出物によつて公衆の生命、身体に対する危険が生じ、且つ、これにより公衆が被害を蒙つたものであることが要件であり、当該事業活動の場において当該事業活動に従事する者が被害を受ける場合には、右の要件を欠き同条項の適用はないと解されるから、前記状況において被害を蒙つた右両名については公害罪法違反の罪は成立しない。しかしながら、同人らの蒙つた傷害について、被告人らには別に業務上過失傷害の罪の成立要件のそなわつていることは前認定のとおり明らかであるところ、本件訴因中には前記両被害者に対する業務上過失傷害の事実も包含されているものと解されるからこれの成立する範囲で、さらに被告人らの刑責を問うことにする。次に、前記若松元和、高木治子、村上伸郎、川村開治、川村つよ、川村寛、上杉裕子に関しては、〈証拠〉によれば、前記各場所において、当日午後四時ころから夕刻にかけて、右供述者らが空気に塩酸様の臭などを感じたり眼に刺激をおぼえ、もしくは喉がはしかくなり、あるいは咳込む等の体験乃至目撃をしている旨の供述があり、且つ、それぞれの診断書によれば同人らについて訴因記載のような内容の医師の診断がなされていることも認められるところであるが、前掲各証拠(殊に谷山鉄郎作成の捜査関係事項照会回答書=農作物等の被害調査結果)によると、前記高木治子の受傷地とされている四日市市幸町、若松元知の受傷地とされている同市日永一丁目は何れも本件排出にかかる塩素ガスの拡散区域外にあることがほゞ認められ、また、その余の五名についてはその受傷地とされている所は何れも本件塩素ガスの拡散区域内にはあるものの、同塩素ガスの排出現場(煙源)から六キロメートル以遠にあつて、前記塩素ガスが同地域に至る間には次第に拡散してその濃度も低下しているものと考えられるところ、鑑定人横山長之作成の鑑定書及び同補充書によつて認められる本件塩素ガスの拡散による地域的な濃度の推移経過(煙源からの距離による地表濃度低下の割合)や前記植物被害結果によると、同地区における植物被害が軽微で、別紙一覧表記載の者らの被害地域における植物被害の程度の著しいのと対照的であることが認められる(なお一般に塩素ガスに対する抵抗力は植物組織の方が人体組織より弱いとされている)点等を考慮すると、右五名の者の被害場所とされている地区での本件塩素ガスの地表濃度は可成りの低度のものであつたと推認され、これらによれば、前記七名の傷害の程度からしても果してこれが本件塩素ガスの吸引、接触によつて生じたものか否かにつき多分に疑問があるものといわざるを得ないもので、前記七名の者の前記傷害と本件排出ガスの吸引接触との因果関係の存在には合理的な疑いがあるから結局この点において犯罪の証明がないことに帰着する。

以上により前記の者らに関しては被告人らに対し公害罪法三条二項の罪は成立しないこととなり、従つて被告会社に対して同法四条の適用による処罰はなし得ないこととなるが、右(但し、被告人らに関しては、前示業務上過失傷害の罪の成立する被害者水上善勇、同杉山幸雄を除く七名、被告会社に関しては右両名を含む九名に対する事実)は同法違反の罪として起訴された一罪の一部であるから、被告人ら及び被告会社につき主文において特に無罪の言渡はしない。

(弁護人の主張に対する判断)

一公害罪法三条の解釈等

弁護人は同法三条違反の罪が成立するためには、同条項の解釈上「工場又は事業場等(以下事業場等という)においてその本来の事業活動の遂行によつて生じた有害な廃棄物を正規のルートを通じて(“同廃棄物を排出するために設けられた設備から当該事業活動において予定された排出の態様において”の意と解される)、長期にわたつて継続的に大気中又は水域に排出し、これにより右有害物質が次第に蓄積して緩慢に人の健康を害するに至るような持続的な危険状態が存在する」ことが要件であるとしたうえ、判示T・C・A及びシールポツトが本件工場における廃棄物の排出設備でないとの見解に立つてこれを前提に、本件は、被告会社の本来の事業活動であるアエロジル製造にとつてはその準備作業に過ぎない液塩受入れ作業に伴つて、右アエロジル製造の原料である塩素ガスを右T・C・A及びシールポツトから大気中に放出したものであり、右排出行為も長期にわたつて継続的になされたものでなく、これによつて長期間持続するような人の生命、身体に対する危険状態が生じたものでもないから、右法条適用の要件はない。旨を主張するので判断する。

1  先ず、同法条にいう排出行為は、弁護人主張のように、事業場等の本来の事業活動によつて生じた有害な廃棄物が、当該事業場においてその物につき予定された経路、態様において排出される場合に限るか否かについて検討するに、排出なる用語は、大気汚染防止法、水質汚濁防止法等の一連の公害規制法にも用いられていて、海洋汚染防止法を除き、ほゞ同意義に解せられ、当該事業場等の事業活動において予定されている経路、態様における有害物質の排出の意義に理解せられている点は弁護人主張のとおりであるが、これらの法律が事業活動に伴う有害物質の排出による環境の汚染を事業場等の設備、事業活動の態様等に対する行政的規制(介入)によつて防止しようという、いわば事前的な規制を主目的としている(この場合には、事業活動一般に対する不必要乃至過度の規制を避けるため規制の方法、対象も制限的にならざるを得ない)のに対し、本法の目的とするところは、事業活動に伴つて人々の生活圏に排出される有害物質によつて広範囲にわたつて生活環境が汚染され、一般住民等の生命、身体に対する危険な状態あるいは現実に人々の生命、身体に対する被害が発生した場合において、これを自然犯としてとらえ、加害者である事業者等の責任を事後的に追及することにより事業活動に携わる者一般の責任の自覚を促がし、もつて右のような産業公害の発生を防止するとともに、その社会的有用性の故に社会的にその活動が是認されながら、活動のあり方如何によつては広範囲に被害を及ぼす危険性を内包するところの、事業体の活動に対する一般公衆の不安を除こうとする点にあるものと解せられ、同じく公害防止に関する法律であつても両者はその目的を異にしているものであるところ、目的を異にする法律相互の間において同一用語につきその解釈を同一にしなければならない理由はないし、右のように現実の危険状態ないし被害の発生した場合における事後的司法的処理を目的とした本法における排出行為につき、事前の行政的規制を目的とした前記各規制法のようにこれを限定し、制限的に解さなければならないとする理由も見出し難い。

然るに、右のような事業活動に伴つて一般公衆に危険乃至被害の及ぶ事態は、本来の正常な事業活動に伴つて生ずる有害な廃棄物等の予定された経路、態様による排出行為によつて招来されるばかりでなく、事業活動(本来のそればかりでなくこれに付随する活動を含む)の過程で用いられあるいは生成される各種有害物質が、事業活動の運営上の欠陥、落度から、予定外の経路を辿り、且つ廃棄物等について予定されているものと異る態様において一般公衆の生活圏に排出されて生活環境を汚染し、広範囲にわたつて人々の健康に対する危険を発生させ、これに被害を与える事例も少なくなく、この危険性につき一般公衆が事業活動に対して抱く不安の念は事業活動によつて生ずる廃棄物等の予定された排出行為によつて生ずる危険の故に一般公衆が事業活動に対して抱くそれに劣らず、むしろ優る場合さえあるといえるのである。

以上の諸点に鑑みると、前記法条における排出行為は、正常な事業活動によつて生ずる有害な産業廃棄物等が予定された経路、態様において排出された場合(予定公害)に限らずひろく事業活動(付随活動を含む)の過程において用いられあるいは生成される各種有害物質が、生産過程における運営面の欠陥、落度を原因として、予定されない経路を辿り、廃棄物等に予定されているそれと異る態様において排出される場合をも含むものと解するのが相当である。

2  次に、前記条項が適用されるためには有害な物質の排出が長期にわたつて継続的になされ、人々の健康に対する持続的な危険状態が発生していることを要するかどうかを考えてみるに、なるほど事業の通常の過程において生ずる有害な廃棄物等が排出口から継続的且つ多量に排出し、一定地域にかなりの時間にわたつて滞留、蓄積されて次第に生活環境が汚染され徐々に地域住民の健康がそこなわれていくという事態は典型的な産業公害としてその例が見受けられるところであるが、産業活動に伴う公害の発生はこのような場合に限らないのであつて、前記のような本法の目的及び事業活動に伴う排出物による公衆の生命、身体に対する危険乃至被害発生の多様な可能性並びにこれに対する公衆の不安感の存在を考慮すれば排出行為の継続性及び危険の意義について、弁護人主張のように殊更に限定して制限的に解釈すべき理由は認め難い。

3  然るところ、本件においては、前認定のように本件工場の従業員である被告人ら同工場の生産活動の一環である液塩受入れ作業の際に、前述のような業務上の過失により、人の生命身体に対し猛毒性を有する多量の塩素ガスを約三時間にわたつて同工場の排出設備と認められる中和塔T・C・A排突部及びシールポツト(これらの設備につき、前者は排ガスの除害機能、後者はブラントの内圧調整機能をそれぞれ有するものの、両者共同工場の事業活動によつて生ずる廃棄物を排出するための設備であることは前示のとおりであり、これらが他の機能を併せもつことによつて排出設備であることが否定されるものではない)を経て大気中に放出し、附近住民の身体に危険を生じさせたばかりでなく、これにより別表記載の者に被害を与えたのであるから公害罪法三条適用の要件に欠けるところはなく、この点に関する弁護人の主張は採用し得ない。

二被告人須ケ間及び同船坂における被告人近藤の液塩受入れ作業中のバルブ誤操作に対する予見可能性の存否及び熟練技術員の指導に対する信頼の相当性等

弁護人は、被告人近藤は実習見習中の者であり、本来熟練技術員のみが従事する液塩受入れ作業に同被告人が従事することは予定されておらず、また見習中の者が液塩受入れ作業の実習をする場合においては、右作業に従事する熟練技術員において見習者に対する十分な指導監視をすることが期待され(被告人須ケ間については、更に被告人船坂が十分指導監督することも期待でき)るから被告人須ケ間、同船坂の両名には被告人近藤の液塩受入れ作業中のバルブ操作に誤りあることを予見できず、従つてこれに対して必要な措置をとるべき義務は存在しない、旨を主張するので検討する。

前認定のように被告人近藤が技術班へ配置されたのは、同班担当職務の実習目的を兼ねながら同班の人手不足を補うための応援要員としてであるところ、右配置に際し、同被告人に取扱わせるべき同班相当職務に格別の制限、指定がなされたことはなく、通常見習技術員が実習のため現場の班、係へ配置される際にとられている指導担当技術員の指定も行われず、また右配置自体同班担当係員である被告人船坂からの増員要請に応える形で行われ、同配置がいかなる趣旨の配置であるかについても何ら技術班員らに知らされることもなかつたことなどからすれば、同班所属中被告人近藤の携わるべき職務に制限はなかつたものとみるほかはなく、且つ右状況から技術班員らとしては、同被告人の技術班への配置を単純な増員配置と受取り、同被告人を未だ一人前の作業能力をそなえない未熟練者ながら同班担当職務を他の技術員同様に担当し、これに従事して行くべき者として受け容れ、新参の同被告人に対し速やかに担当職務に精通させ、一人前の作業能力を身につけさせようと、同班担当職務のすべてにわたつて、それが危険性を伴うか否か、熟練技術員が取扱うこととされているか否かを問わず、同被告人を伴つてこれら作業に従事し、その手伝いをさせながら実地に指導し、技術を習得させようとするのは当然で、かゝる過程において、同被告人が共に作業する他の技術員の監視の下にあるいはこれの了解を得て監視を受けることなく、その作業の一部を行うことのあることも当然に予想されるところである(現に本件事故発生の前にも技術班員羽多野正治は本件液塩受入れ作業中隣接工場へ純水を取りに出かけて塩素室を離れている間の約三〇分間、被告人近藤に一応の指示をしたのみで、同被告人に右受入れ作業中の監視業務を単独で行わせていることが前掲証拠によつて認められる)。然るに前認定のとおり本件工場においては、一般技術員に対する安全教育は徹底を欠き、殊に末熟な技術員と共に作業する場合における先輩技術員の安全面からの未熟者に対する指導、監視等の心得についての教育は殆んど全く行われてはいなかつたものであること、被告人近藤は液塩受入れ作業に伴う危険性に対する具体的知識を殆んど持ち合わせず、危険を伴う作業に熟練者と共に従事する際の心得について特に教育を受けることもなかつたことなどに、当時(殊に当日)の技術班の甚だしい人手不足の状況を併せて考えると、被告人近藤を伴つての液塩受入れ作業における作業の安全の確保は、熟練した技術班員が共に作業に従事する場合においてもなお十分とはいゝ難いものであつたと認められるところ、前認定のとおり、当時本件工場においては、作業中技術員同士で適宜に作業の交替が行われ、その交替が所属の班、係を超えて行われることも珍しくはなかつたのであるから、比較的長時間にわたる液塩の受入れ作業の途中においても他班の技術員による作業交替は予想され得たし、この場合には途中交替する他班の技術員としては被告人近藤の当該作業に関する技術習得の程度についても具体的知識をもたないのは当然で、かかる者が同被告人と共に液塩受入れ作業に従事する場合においては、右交替技術員の側の同被告人の技術習得程度についての把握の不十分さから同被告人の作業に対する指導、監視がおろそかになることも考えられ、これに同被告人の当該作業に伴う危険性に対する無知も手伝つて、本来技術未熟者には単独操作の許されない危険性を伴う作業が、同被告人によつて単独で行われる危険性は一層大きいことは明らかである。以上のような当時の状況においては、未熟練技術員である被告人近藤が漫然と技術班へ配置されゝば、先輩技術員らと共に液塩受入れ作業にも従事することになり、右の場合に、先輩技術員の指導、監視が十分行き届かず、同被告人において本件のように単独でバルブ操作を行い、その結果これを誤操作するに至ることの可能性は十分存在し、またこれの監督者である被告人須ケ間、同船坂においてもこのような事態の発生は当然に予見することができ、予見すべきものであつたと認められる(なお、弁護人は被告人近藤が受入れバルブとパージバルブを取違えたうえ、バルブハンドルの廻転方向を錯覚し、バルブを閉める意図でありながら((閉めるためには右へ廻さなければならない))ハンドルを左へ廻してバルブを開放した点をとらえて、かゝる誤操作は日常の生活経験からしても予測し難いもので、被告人須ケ間らにおいても到底これを予見し得ない旨をも主張するが、前認定のような二号タンク上のバルブ状況からすれば初心者が操作すべきバルブを取違える虞れのあることは明らかであるといつてよく、またバルブの廻転方向を誤つた点についても、なるほど我々の日常生活上取扱うことのあるバルブ類は、これを閉める場合のハンドルの廻転方向が右((時計の針の廻転方向))のものが大部分ではあるが、反対にこれが左になつているものも存在し((このようなバルブハンドルに手を触れる経験も生活上決して稀ではない))ていて、バルブの開閉する際のハンドルの廻転方向が一定しているとは必ずしもいえないし、日常生活上の経験から推し測れば、工場生活に日の浅い未熟者が単独でバルブ操作を行つたとすれば、その操作の際にハンドルの廻転方向を誤つたとしても決して奇異の出来事ではなく、寧ろ一般にあり得ることとこそ考えられるところで、被告人須ケ間らにおいてかかる事態が予見し得ないものとするのは相当でなく、弁護人の右主張は採用し得ない)。したがつて、同被告人らにはかゝる事態を予見し、これによつて生じ得る危険を未然に防止すべく適切な措置を講ずべき注意義務があつたものというべきである。そうとすれば、被告会社において本来液塩受入れ義務が熟練技術員の行うべきものとされていたこと及び本件において被告人近藤が熟練技術員と共に同作業に従事したものであることの故をもつて、被告人須ケ間、同船坂の前示のような危険発生についての予見可能性を否定することはできないし、また、被監督者である熟練技術員が適切な指導、監視をするものと期待し、これに信頼することが相当であつたともいえないから、同被告人らにおいて監督者としての業務上の注意義務を免れることはできない(更に、被告人須ケ間において、同船坂が部下に対し十分な監督を行うことを期待し、信頼すべき相当の事情が存在したか否かについては、前掲各証拠によれば被告人船坂はもともと几帳面な性格ではなく、部下の作業に対する監視、指示も平生余り丁寧に行う方でなかつたことが認められるほか、前認定のように同被告人が係員になつて技術班を担当してから日が浅いうえ、数日来、その本来の担当職務のほかに出帳中の他の係員の職務、負傷入院中の交替班班長の職務(当日は一勤)をも担当していて甚だ多忙であり、本来の担当職務に専念できる状況ではなかつた等の事実を綜合すれば、右相当の事情は存在しなかつたものと認められる)のである。

以上により、右弁護人の主張も採用し難い。

三被告会社が経営上ライン組織をとる故に被告人須ケ間に被告人近藤に対する直接指示義務が存在しない旨の主張について

弁護人は、被告会社においては、その経営上いわゆるライン組織が採用されていて個々の末端従業員に対する指揮命令の系統は一本化されており、課長は部下係員のみを、係員は班長及び直属技術員のみを指揮することができるのみで、課長が係員、班長を飛び越えて一般技術員に指示する権能はなく、従つて被告人須ケ間には被告人近藤に対し直接指示する義務はない。旨主張するところの、前掲各証拠によれば被告会社においては、一応弁護人のいうところのライン組織が構成されているようであるものの、その指揮命令の一本化は必ずしも徹底したものでなく、課長から一般技術への指示、注意も適宜行われていることが認められ、右弁護人の主張はその前提を欠くものというべきであるが、こゝでライン組織と業務上の注意義務との関係についてあえて述べれば、近代的経営体において採用されつつあるいわゆるライン組織なるものは、組織構成員に対する直接の命令権者が複数存在する場合には往々にして異なる(殊に相矛盾する)内容の命令が同一構成員に対して発せられる場合があつて混乱し、このため営業活動の能率を阻害し、経営政策(経済)上得策でないことから、指揮命令系統の一本化をはかることを主眼として生まれたものであつて、もとより事業体の事業活動によつて生ずる危険の防止に向けられた組織化とはおのずから異るものというべきところ、事業体の構成員として事業活動に携わる者が、危険性を伴う業務を所管し、これの遂行につき責任を有し、且つ右業務遂行に伴う危険の発生を予見し得る地位にあつて、客観的に右危険防止の措置をとり得る可能性を有する限り、その者が直接に右業務遂行に当る地位にあると、この者を監督し、これを介して右業務の遂行に当る地位にあると、更に、右監督者を監督し、これらを介して右業務の遂行に当る地位にあるとを問わず、法律上当然に右危険を予見し、これの発生防止に適切有効な措置をとるべき業務上の注意義務が課せられるのであつて、もとより、その地位が業務の執行に対し間接的であることによつて危険防止のためにとるべき措置が間接的なものに限られるいわれもなく、事業体における経営政策上の要請から加えられている内部的な指揮命令権能の制約の故に右法律上の義務の内容が影響されるものでもない。

右弁護人の主張は失当である。

四被告人近藤のバルブ操作の業務性

弁護人は、被告人近藤は応援を兼ねて見習のため技術班へ配置されたもので、技術班員としての地位にはなく、本件バルブ操作も被告人田中の許可の下に一回限りなされたもので反覆継続してこれを行う意思はなかつたから、これをもつて被告人近藤の業務といえない。旨を主張するので検討する。

およそ事務の遂行が業務といえるためには、これを行う者において、社会生活上の地位に基き反覆継続しあるいは反覆継続の意思の下にこれを行うことを要するが、右社会生活上の地位は、当該事務を単独であるいは他から独立して行い得る地位である必要はなく、要するに当該事務を行うべき立場にあれば足りるもので、主たる事務担当者の補助者としてその事務を行う場合あるいは他の同事務担当者の指導、助言、監視の下に技術習得を心がけてその事務を行う場合等においてもこれを当該執行者の業務というに妨げはないところ、これを本件についてみれば、被告人近藤は暫定的ながら技術班員の地位にあつてその担当職務の格別の制限はなく、単に未熟練者であつて塩素受入業等を単独で行う技術知識を未だそなえないため、熟練技術員と共に同作業に従事し、これの手伝いをしながらその指導、監督の下に個々の作業を反覆遂行し、技術習得をはかつていたものであることは前認定の事実から明らかであつて、同被告人の従事した塩素受入れ作業の一環である本件バルブ操作行為に業務性の認められることは当然であり、右弁護人の主張は理由がない

(法令の適用)

被告人らの判示被告会社の事業活動に伴つて有害物質を排出し、公衆の身体に対する危険を生じさせ、よつて別紙一覧表記載の者らに傷害を与えた所為は公害罪法三条二項に、判示水上善勇、同杉山幸雄に傷害を与えた所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、右は一個の行為で数個の罪名に当る場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い公害罪法違反の罪の刑で処断することとし、所定刑中何れも禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で被告人らをそれぞれ禁錮四月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとし、被告会社については、同会社の使用人である被告人らが同会社の業務に関し前記公害罪法三条二項の罪を犯した場合であるから同法四条により被告会社を処罰することとし、同法三条二項所定の罰金額の範囲で罰金二〇〇万円に処し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により、被告人ら及び被告会社に連帯して負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(桜林三郎 金田智行 坂井満)

別表〈省略〉

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